日本の「デジタル通信簿」
最初に登壇したナランホ氏はまず、日本は世界第3位の経済大国でありながら、多くのデジタル指標面で他国に後れを取っていると指摘し、その現状についてスライドを用いて示した(以下、括弧内は各カテゴリで1位の国の例)。
・総要素生産性(5年平均成長率):-0.11%(中国は+2.81%)
・デジタル競争力:27位(1位は米国、2位はシンガポール)
・デジタル人材の割合:1%(米国は3%)
・小売業界におけるEコマース浸透度:9%(中国は24%)
・モバイルバンキングの浸透度:6.9%(中国は35.2%)
・デジタル行政アプリの利用率:7.5%(エストニアは99%)
・ユニコーン企業の数:5社(米国は320社)
「高齢化社会の日本ではデジタルツールを用いて生産性を上げることが急務です」とナランホ氏。そしてデジタル人材に関しては2030年までに約75万人が不足するとして、「今後10年で3倍に増やす必要があります」と訴える。
デジタル化の遅れによる生産性の低下は、長期的に日本の経済的地位の低下を招きかねない。ナランホ氏は、何らかの革新的な方策を取り入れなければ、2050年までに日本のGDPは、中国、米国、インド、インドネシア、ドイツに次いで、世界第6位にまで落ち込むとする見通しを示した。
デジタル化の好条件と課題
こうした深刻なデジタル化の遅れが危惧される一方で、日本には恵まれた条件もいくつか揃っているとナランホ氏は言う。それは、サイエンス系の人材が豊富で、ロボットやハードウェア分野でトップクラスの技術力をもっていること。自動車をはじめとする産業分野で世界的企業が多数輩出していること(ソフトウェアと近い関係にあるゲーム分野の先進国でもある)。また非常に質の高い公共インフラを維持していることなどだ。
一方で、デジタル化の障壁となる要因についても同氏は三点ほど指摘した。第一に、ハードウェア重視の風潮が強いこと。日本企業はビジネス上の課題に対して、規模を拡大しやすいソフトウェアより、ハードウェアを用いて解決しようとする傾向が強い。第二に、リスクを避けようとするマインドセットである。「素早く検証して修正する、あるいはたくさん失敗してそこから学ぶアプローチが必要なのに、日本企業は失敗しようがないくらい事業の目標値を下げてしまうことも少なくない」とナランホ氏。第三に、経営陣がDXのような大胆な変化よりも、既存の事業の長期継続や顧客との関係保持を優先すること。「創業200年以上の長寿企業の70%近くが日本に存在することが示すように、大胆な変化は優先すべき経営課題だとは一般的に捉えられていません」
日本が2030年までに取るべき方策
ではデジタル面での競争の差を埋めるために、日本の政府や企業はいったいどのような手を打てばよいのか。ナランホ氏は、レポートの核心部分である「11の提言(11 Big Moves)」について、「デジタル人材」「産業の改革」「デジタル政府」「経済の再生」の4つのテーマに分けて解説した。
デジタル人材
1. 世界に通用するデータサイエンス、ソフトウェア開発、人工知能の厚い人材層を構築し、中核となるデジタル技術と働き方に精通する
2. あらゆる人材のスキル向上を実現するために、従来型の学習方法から個別最適化した学習方法(適応学習)へ移行し、デジタル時代に相応しいスキル一式を提供
3. 学校運営と教師の指導力の効率性を改善し、生徒がより良い教育を受けられるようなソリューションを通じて、初等教育から大学教育まで教育界の徹底的なデジタル化を推進
産業の改革
4. 製造業界が、ソフトウエア、機械学習、ディープラーニングを活用して飛躍的な技術革新を実現し、ハードウェア、ロボティクス、自動車技術に関する本来の強みをさらに強化
5. 小売業界が、デジタルを活用したオムニチャンネル方の購買体験を提供し、顧客動向の変化に的確に対応
6. ヘルスケア業界が、世界に先駆けて高齢者向けに個別最適化された遠隔ソリューションを導入
7. 金融機関が、クラウドインフラとオープンネットワークを活用して、多様なモバイル環境から接続できるソリューションを構築
デジタル政府
8. 政府がビジョンと高い目標を提示し、国民と企業双方を対象とするデジタルサービスを提供
9. 政府と産業界が協力し、公共インフラにおける強みを生かしてスマートシティを拡大
経済の再生
10. スタートアップ界隈に、事業コンセプトから株式公開やバイアウトまでのベストプラクティスが定着し、世界に進出するベンチャー企業を数多く生み出す
11. ITサービス会社とテック系企業が、顧客企業の事業部側におけるデジタル人材の育成、及びグローバルな成功事例の導入を通じ、顧客企業の改革促進を支援
(出典:https://www.mckinsey.com/jp/our-insights/how-japan-can-become-digitally-competitive-by-2030)
提言1のデジタル人材育成について、「日本ではデザイナーやプロダクトマネジャー、クラウドアーキテクト、フルスタックエンジニア、アジャイルコーチなどの専門人材を採用するのが非常に難しい。たとえば先日転職サイトのLinkedInでアジャイルコーチのスキルをもった人材を検索してみると、日本国内にたった250人ほどしか登録されていませんでした」とナランホ氏は言う。
また提言8のデジタル政府について、ナランホ氏は、出生届から、児童手当、マイナンバー(個人番号)、住民票、運転免許更新、年金受給にいたるまで、国民が各ライフステージで必要となる行政書類がすべてデジタル化された将来像を提示する。そして日本に暮らす同氏は最近自身に子どもが生まれたことを明かし、「この3週間で計35枚もの紙の書類を役所に提出しなければなりませんでした。行政のあらゆるプロセスをデジタル化することで、役所に足を運ぶ手間を省けるほか、政府が市民サービスに役立つデータを集積でき、行政の生産性や効率性を大幅に向上させることができるのです」と語った。
さらに提言10について、「日本のスタートアップシーンは近年成長しているが、いくつか改善すべき点もある」として、事業立案から資金調達、採用、エグジットまで、スタートアップの成長フェーズごとの課題を指摘した。とくにエグジットに関しては、「日本のスタートアップは市場拡大よりも早めの黒字化を狙う傾向が強い。まだ成長の初期段階なのに、IPOしてしまう企業が少なくありません。東証マザーズ上場時の平均時価総額は4900万ドル程度で、これは欧米ではシリーズA~Bくらいの規模でしかありません」と疑問を呈する。
最後に、これら11の提言がすべて適切に実行された場合、日本の社会や経済は2030年までにどう変わるのだろうか。ナランホ氏は、同社のシンクタンクである「マッキンゼー・グローバル・インスティテュート」の調査により、日本の産業界全体で50~78兆円のGDP押し上げ効果があるという推計を示した。
「日本における現状のデジタル改革がもともと遅れていることを差し引いても、この成長余地の大きさには私たち自身も驚かされました」と、同氏はコメントする。