組織のイノベーションを活性化するにはどのような取り組みが必要なのか。また管理職やチームリーダーには何ができるか。6月末に都内で開催されたSVJP Tokyo Sessionでは数学者であり、また社会起業家でもあるポーシェン・ロー氏が登壇し、イノベーション人材の育成を目的として自身が開発した独創的な教育プログラムを紹介した。またセッション後半では参加者同士によるグループディスカッションが行われ、イノベーション創出の課題や解決策について議論を深めた。
開催場所
赤坂インターシティコンファレンス
プログラム
15:00-15:05 | イントロダクション ポーシェン・ロー氏のご紹介 |
15:05-16:00 | ポーシェン・ロー氏と伊藤公平氏による対談・質疑応答 |
16:00-16:40 | グループディスカッション |
16:40-17:15 | グループディスカッションの内容共有 |
17:15-18:15 | 懇親会 |
研究者から起業家へ
起業家の目的は人々が感じている何かしらのペイン(困りごと)を解決することだとされる。だがペインを正しく捉えることができず、事業に失敗する例も少なくない。そんななか一つどころか、いくつものペインを同時に解決する仕組みを生み出した人物がいる。それが今回のスピーカー、ポーシェン・ロー氏だ。
ロー氏は国際数学オリンピックの米代表コーチとして知られ、過去10年で米国を4度も世界一位に導いた。また自身も高校生のときに出場した1999年大会で銀メダルを獲得している。
「数学オリンピックの問題は特殊です。普通の試験はどんな問題がでるか予想できるので、対策を立てられます。しかし数学オリンピックでは、見たことのない問題が出題されます。つまり未知の問題に対して新たな解法を考え出す力が試されるのです」と、千葉県で開催される数学オリンピックの本選を翌週に控えたロー氏は話す。
一方で、数学オリンピックのコーチはそれほど大変な仕事ではないとも言う。「すでに十分強いチームを世界一に導いてもたいした功績とは言えない」。ポー氏がむしろ自分の功績として誇るのが、米カーネギーメロン大学の数学教授として始めたプロジェクトだ。
同氏が数学競技大会向けの対策コースを指導するようになってから、主要な大会において好成績を収める学生が大幅に増加。たとえば北米の大学生を対象とした「パトナム競争」の成績上位500人のうち、カーネギーメロン大学生はおよそ5分の1を占め、2000年代に比べて約5倍増と大幅に増えている。いまやハーバードやプリンストン、スタンフォードといったライバルを抜いて全体で2番目に多い(1位はMIT)。
そのポー氏が現在最も力を入れるのが、社会起業家としての活動だ。同氏は数学と演劇を組み合わせたユニークな教育プログラムを通して「多くの人をクリエイティブにする方法」を開発した。ヒントは数学オリンピックから得た。ロー氏が開発した教育プログラムでは、生徒は見たこともない数学の問題を自分の頭を使って解く。先生は決まった解き方を教えず、生徒から出たアイディアを使って解き方を示す。
「そうすることで、生徒は自分の力で問題を解いたと思えるのです。すでに習った問題だから解けるというのとは違います。他人のアイディアをコピーするだけの教育では、自ら新しいことを生み出せるようにはなりません。何か新しいことを生み出すには、実際に自分の頭を使って考えたうえで、プロの力を借りて、新しいことを生み出す経験を積むしかないのです」
クリエイティブな人材を生む教育
生徒の反応によって教え方を変えるダイナミックな教育は一部の裕福なボーディングスクールではすでに行われているが、全体で見ればごく少数だ。どうすればこの教授法を一般にも広められるのか。ロー氏は解決すべきペインを2つ設定する。
【ペイン1】ダイナミックな教え方のできる教師が足りない
【ペイン2】誰も考えつかないようなアイディアをもつ人は周囲を説得するのに苦労する
数学ができる人は教師ではなく、他の仕事に就く場合が多い。そのため有能な数学教師はつねに不足している。またせっかく独創的なアイディアをもっていても、周囲を説得して協力をとりつけることができなければイノベーションを起こすことは難しい。ロー氏は「普通でないアイディアの価値を理解し、納得してもらうには特殊なスキルが必要」だと語る。
普通の起業家ならどちらか一つのペインに注力し、解決策を考えるだろう。だが数学者のロー氏はゲーム理論を使って「Win-Win」の状況を作り出すことを目指した。ゲーム理論とは、参加者全員が恩恵を受けられる関係性について数理モデルを使って研究する学問分野のこと。ロー氏はこのモデルを用いて、二つのペインを同時に解決する画期的な方法を編み出した。
その方法とは次のようなものだ。
・先生は特別な数学の才能をもつ高校生(15~18歳)
・生徒は数学を学びたい中学生(11~14歳)
・1クラスに男女一組の先生、生徒25~30人
・すべてのクラスに演技指導のコーチがつく。
数学が得意な高校生が教えることで、教員不足の問題(ペイン1)を解消した。また、舞台俳優を目指す若者や演劇学部の現役学生が先生役の高校生に話し方や立ち振る舞いの指導をすることで、「周囲を説得できない」という問題(ペイン2)も同時に解決した。「教育史上、誰もやったことがないことです。高校生たちは数学を教えながら、一方で演技のプロから話し方の指導を受けられます」とロー氏は説明する。
高校生たちはアルバイト代をもらえるが、それ以上に魅力となっているのがこの舞台俳優によるオンラインレッスンだという。
「高校生たちは数学が得意でも、コミュニケーション力を磨く機会はありませんでした。話すのが上手になると、自分のアイディアを売り込めるようになる。これはゲーム理論でいう強力なインセンティブになります。というのも、米国ではトップ大学に進学するには数学が得意なだけでは不十分です。自分という人間に興味をもってもらわなければならないからです」
こうした数学の才能をもつ優秀な高校生をオンライン講師として雇うのはこれまで難しかったが、「彼らの大学進学をサポートすることで可能となった」とロー氏は話す。