活動概要

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  2. マンスリー Benkyokai

2021年8月Benkyokai:コロナ禍でも進化を遂げる「三方よし」の哲学と、変化を生み出す資質

Speaker
茅野みつる Mitsuru Claire Chino
  • 伊藤忠商事常務執行役員
  • ITOCHU International Inc. 社長兼CEO
伊藤忠商事(以下、伊藤忠)の常務執行役員であり、伊藤忠の子会社であるITOCHU International Inc.の社長兼CEOとしてニューヨークで北米を統括。それ以前は国際法律事務所のパートナーを務めたのち、2000年に伊藤忠商事に入社し、企業専属弁護士となる。2013年、日本の大手商社では初の女性執行役員に就任。趣味でクラシック声楽家としても活動しており、リサイタルの経験も持つ。
Moderator
スージー・ルース Susie Roos
  • Geodesic Capital パートナー兼CAO

創業以来「三方よし」を軸にしてきた総合商社

1858年に創業した伊藤忠商事は、日本を代表する総合商社として貿易から投資までさまざまな事業を手掛けている。伊藤忠商事の他、代表的な総合商社としては丸紅、三井物産、三菱商事、住友商事などがある。いずれも江戸から明治に時代が変わる1800年代の半ばから後半にかけて事業を開始した。ニューヨークに本拠を置く伊藤忠インターナショナルのCEOを務める茅野みつる氏は、総合商社は日本独特のビジネスモデルであると話す。

「総合商社」に該当する言葉は英語にはないという。「ウォール街の人に説明するときは、貿易をする会社ではあるが、事業は多様な産業を網羅し、ウォール街のビジネスに類似すると説明しています」と茅野氏は話す。実際、総合商社は貿易を担いつつも、同時に幅広い投資事業を行っている。

伊藤忠商事は現在の滋賀県に当たる織物を行商する近江商人からスタートした。同社が経営理念としてきたのが「三方よし」の哲学だ。三方とは「売り手」「買い手」「世間」を指し、よしとは「良し」を意味する。これは売り手にとっても、買い手にとっても、世間にとっても良いということである。この考えは、ハーバード・ビジネス・スクールの教授にも引用されていて、今や海外でもビジネスの考え方の一つとして知られるようになった。

1918年に伊藤忠商事はニューヨークに事業所を設け、米国での事業を拡大した。当時、第一次世界大戦が勃発したことで経済は活況を呈し、繊維製品への需要が飛躍的に拡大。米国の繊維製造用の機械を製造する業者との協力を強めることが当時の目的だったという。1918年というのは今から100年以上も前で、スペイン風邪が流行った年でもあった。また、近年、伊藤忠を含む日本の商社への投資が話題となったバークシャー・ハサウェイの話題に及んだ。今や世界最大の投資持株会社であり、伊藤忠商事の主要株主でもあるバークシャー・ハサウェイを創設したホレイショ・ハサウェイ氏は、当時、繊維貿易商であり、当時の伊藤忠商事の社員が米国でホレイショ・ハサウェイ氏に会っていたかもしれないと思うと不思議な縁を感じると茅野氏は語る。

総合商社のビジネスモデル

貿易を担う商社としての基本的なビジネスモデルは、売り手から商社が商材を調達し、商社が買い手に販売するというのが基本的な流れだ。売り手と買い手の間に商社が入ることで、さまざまなメリットがあると茅野氏は説明する。最も基本的なものとして、売り手が海外での販売経験がない場合、海外における商取引のノウハウを持つ商社にゆだねることですぐに海外市場への参入が可能となる。貿易金融も商社が担う重要な役割の一つだ。例えば売り手が30日以内に支払いを希望しているときに、買い手には60日以内に支払うことはできるものの30日以内に支払えない場合に商社が間に入り、売り手に対して買い手の代わりに支払いを済ませる。いわば30日のローンを提供するようなものである。商社は商材を調達した金額にマージンを乗せて買い手に販売するだけではなく、こうしたローンの仕組みで利息を加えて商品を販売する。

だが、商社のこうした基本的なビジネスモデルは、その終焉を迎えたと言われるようにもなった。売り手と買い手が直接やりとりし、中間業者を締め出したからである。これは商社が他の事業に投資するきっかけになった。商社が目指す投資は、金融会社による投資とは異なる。「総合商社は短期的な利益ではなく、長期的な利益のための投資、別の言い方をすれば戦略的投資家となり投資先とのビジネス連携を目指すのです。」と茅野氏は強調する。

2021年現在、伊藤忠商事はカナダ、米国、メキシコの北米において40社の企業を抱え、従業員は連結で17,000人を超える。シリコンバレーにも進出している。創業時の事業である繊維を含めて7つのビジネスラインを有するが、現在最も好調な事業は、一般製品の事業分野だ。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの間、自宅の裏庭に関連する商材が飛ぶように売れている。例えば、伊藤忠商事傘下の木製フェンスを販売するAltaの事業が非常に好調だ。反対にパンデミックによってマイナスの影響を受けた一つが、男性向けのドレスシャツを専門とする事業だ。伊藤忠商事はこうした事業以外にも、食品分野をはじめ多様な会社を傘下に抱えて北米における事業を展開している。

パンデミックでも持続可能な事業を目指す

伊藤忠商事のSDGs(持続可能な開発目標)において軸になっているのは、160年以上にわたって維持してきた「三方よし」の哲学だ。茅野氏は「持続可能な開発目標が非常に重要であり、中期経営計画においてもその点を重視しています。ただしこれは我々にとって新しいことでありません」と話す。三方よしの考え方は三者が同等に利益を得るものであり、創業以来、常に重視してきた概念と言える。

一般的に企業の経営者は財務に関する話題を好みがちだが、茅野氏は非財務の情報に焦点を当てるESG(Environmental, Social, and Governance)について考えることの重要性も指摘する。非常に重要なポイントとして同氏が挙げるのは「S」、つまり社会、人に関することだ。特にパンデミックにおいては従業員の健康をどのように維持するのかを各企業は考える必要に迫られた。

茅野氏はロックダウンに備えて、2020年3月からニューヨークの事業所の従業員に在宅勤務をさせることにした。在宅勤務の体制に移行する上で、実際に1週間前に従業員が自身のノートPCを自宅に持ち帰り、支障無く業務を遂行できるかを事前に確認したという。「この取り組みは非常にうまくいきました」と茅野氏は振り返る。結果、2020年6月までには全員が在宅勤務が可能となった。オフィスを再開してからは約30%の従業員がオフィスに戻ってきたものの、11月の感謝祭の時期になるとニューヨークでの感染状況が悪化したため、再びオフィスでの勤務を削減することにした。そして2021年4月から5月にかけて、週3回出社する形に勤務体制を改めた。1年にわたるパンデミックの勤務を経て、茅野氏は「従業員が精神的にも肉体的にも健康であることを確認する必要性に気づきました」と話す。その意味でも週の半分ほど出社する新しい体制はとてもうまく機能しているという。

その一方で、在宅勤務を続けたいという従業員もいるのも事実だ。在宅勤務も非常に生産性が高いため、そうした要望にどのように対処するかを検討する必要がある。従業員がワクチンを摂取しているかどうか、チームが一つであり続けるためにはどうすれば良いかを真剣に考えなければならない。「感情的にも肉体的にも、勤務環境を安全に保つ方法を検討することが欠かせません。そのため『S』はいま非常に重要になっています」と茅野氏は語る。今後はパンデミックを受けて、新しいワークスタイルに対するビジョンを持たなければならない。ただしパンデミックの終息はまだはっきりとは見えていない。それまでの間は、機敏で柔軟な状態を保っておくことが大事になるという。

俊敏かつ柔軟な判断を重視

米国における在宅勤務の体制を構築するに当たって、伊藤忠商事は専門のプロジェクトチームを設置し、取り組みの指針として4つの柱を作った。

  • どのようにしてオフィスを安全な場所にするか
  • オフィス外における従業員の安全をどのように確認するか
  • ソリューションをどのようにカスタマイズするか
  • チームがどのようにして1つにまとまるか

という点だ。

伊藤忠商事は北米だけではなくグローバルに幅広く事業を展開しているが、パンデミックに俊敏かつ柔軟に対処するためには、グローバルの方針だけにこだわるのではなく、現地の状況を踏まえることが重要だった。米国、南米、欧州、アジア、アフリカの各国では個々に感染の広がり方や政府の方針が異なるからだ。ニューヨークの事業所は東京本社よりも早く在宅勤務を取りいれた。これは従業員が自宅で安全に仕事をすることが、自社にとっての利益になると考えたためだ。「パンデミックのような状況では画一的な中央戦略を立てることは不可能であり、各地域が必要に応じて判断を下さなければならない」と茅野氏は話す。

俊敏かつ柔軟に判断を下すに当たっては、人の多様性も重要だという。自身の考え方は自身の経験に縛られてしまう。そのため異なる経験や背景を持った人の意見を聞くことで新たな観点を取り入れることができ、それが結果としてより的確な判断につながるのだと茅野氏は話す。

伊藤忠商事ではパンデミックでプラスの変化もあったという。その一つが業務のデジタル化による業務変革だ。具体的には、かなりの割合の紙のドキュメントがデジタル化した。「私自身も以前は紙の印刷が好きでした。しかし今私が持っているのはタブレットだけです」と茅野氏は話す。

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