活動概要

  1. コーポレート・プログラム
  2. マンスリー Benkyokai

2021年3月Benkyokai:ラーメンがアメリカの「国民食」となる日

Speaker
夘木健士郎 Kenshiro Uki
  • Sun Noodle North America 社長
  • 米日カウンシル 上級副会長
ハワイ出身、日系二世。米西海岸ウィットワース大学のサッカー部で活躍。2008年に同大でMBAを取得後、父が経営するホノルルのサンヌードル・ノースアメリカに入社。米東部ニュージャージー工場の立ち上げなどをリードし、2020年に2代目社長に就任。現在、世界11カ国に毎週約100万食のラーメンの麺を供給し、世界のラーメンブームを支える。ザガットの「NYC 30 Under 30」に選出(2014年)。
Speaker
長谷川 浩之 Hiro Hasegawa
  • Ramen Hero Inc. 創業者兼CEO
1989年生まれ、山梨県出身。東京大学経済学部を卒業後、2015年に起業家を目指して渡米。複数の起業アイデアでの失敗を経て、2017年にサンフランシスコでラーメンEC事業「Ramen Hero」を開始。2018年、米著名アクセラレーター「AngelPad」のプログラムに日本人起業家として初参加。現在8種類のメニューを取り揃え、アラスカとハワイを除く全米48州に本物志向のラーメンを届ける。
Moderator
カズ・マニワ Kaz Maniwa
  • Advisor, Ito en. / 米日カウンシル 上級副会長

夘木氏の父がハワイで起業

私たちのオハナを成長させていきたい――。プレゼンの冒頭でハワイ出身の夘木健士郎氏はそう述べた。「オハナ」とはハワイ語で血縁のない人も含めた広義の「家族」を意味する言葉だ。

同氏が現在社長を務めるサンヌードル・ノースアメリカ(本社:ホノルル)は、父・夘木栄人氏(現CEO)が19歳のときにハワイで設立。祖父も栃木県で製麺会社を営んでいたという、代々続く「麺一家」だ。約230人

の従業員を抱えるようになった今でも、家族的なつながりを大切にしている。

「私の父は真の起業家です。父はハワイの人々に日本のラーメン文化を伝えたいという熱い思いをもち、地元のレストランやラーメン店向けに麺を卸していました。英語があまり話せず、最初は苦労したようですが、仕事熱心な姿勢が評価され、少しずつ周囲の信頼を勝ち取っていきました。その結果、サンヌードルはハワイを代表する製麺トップブランドになりました」と、同氏は言う。

 

 

持続可能なビジネスへの転換

夘木氏はハワイで生まれ育ち、プロサッカー選手を目指して米西海岸ワシントン州のウィットワース大学へ進学。怪我でサッカーの道は閉ざされたが、良き教授陣に恵まれ、ビジネスを学ぶ面白さに目覚める。そして2008年に同大でMBAを取得後、家業を継ぐことを決め、第2工場のあったカリフォルニア州でラーメンの作り方を一から学んだ。

そして2011年に第3工場のオープンに向けて、米東部ニュージャージー州に赴任し、営業やマーケティングを担当。そこで製麺業界が抱えていた課題に気づかされたと、夘木氏は語る。

「その頃のニューヨークにはラーメン店が30軒ほどしかなく、明星食品、山ちゃん、そして弊社の3社のいずれかが麺を卸していました。だから売上を伸ばそうと思ったら、他社からお客を奪うくらいしかなかった。それは持続可能なビジネスだとは思えませんでした」

また当時、ラーメンといえばインスタントラーメンが主流で、「クラフト麺(生麵)」の認知度は高くなかった。そこで「実際の商品を試してもらえば、ファンになってもらえるはずだ」と考え、ファーマーズマーケットや食品展示会などへ積極的に参加し、プロモーション活動に力を入れた。

 

会社の成長と失敗

こうした地道な活動が奏功し、モモフクのデビッド・チャン氏やアイバンラーメンのアイバン・オーキン氏などニューヨークの一流ラーメンシェフが同社の顧客となり、他のレストランからの問い合わせが増加。さらに2016年、大手高級スーパーのホールフーズでレシピや包装を刷新した「生ラーメンキット」の販売を開始し、新たなラーメンファンを獲得することにつながった。

一方で苦い失敗もいくつか経験してきた。会社の事業規模が急拡大する中、人材の採用が追い付かず、従業員が複数の仕事を兼任する状況となっていた。また実際の採用に当たっても、「どういった人が会社にふさわしいか」という一貫したポリシーがなかった。

そこで夘木氏らは、あらゆる意思決定の元となる企業理念(コア・バリュー)を確立し、その価値観に合う人材を採用することにした。また部署ごとに役割と責任を明確化した結果、従業員が自らリーダーシップをとって動くようになったという。

コロナ下でのビジネスモデルの転換

こうしてさらなる成長への布石を整えた矢先に起きたのがコロナショックだった。「昨年3月の緊急事態宣言を機に、ラーメン店からの問い合わせはすべて『テイクアウトをどうするか』に変わりました」と、夘木氏は言う。

同社は、宅配でも食感が損なわれない生麺の開発を目指して、すぐにチームを編成。そして各地のラーメン店と協力してラーメン料理キットを開発した。こうしてコロナ下でも自宅で本格的なラーメンが食べられるサービスの提供が始まった。

さらに昨年5月、念願だったECサイトを立ち上げ、生ラーメンキットの自社販売も開始した。

パンデミックを機にビジネスモデルを見直し、より強く生まれ変わったサンヌードル。今後の方向性について、夘木氏は「スイートブレッドのキングス・ハワイアンや、ギリシャヨーグルトのChobani(チョバーニ)、サードウェーブ・コーヒーのブルーボトルなどのように、『生ラーメン』という新しい分野でのブランドリーダーを目指したい」と力強く語った。

長谷川氏が衝撃を受けた「事件」

夘木氏の父がかつて海を渡って起業したように、異国の地でゼロからラーメンビジネスを立ち上げたのが長谷川浩之氏だ。

山梨県出身の長谷川氏はテクノロジー関連での起業を目指して6年前に渡米。だが2つの事業の立ち上げに失敗し、「本当に打ちのめされた」と同氏は語る。

そんな中、落ち込んだ自分を慰めるべく、懐かしい日本の味を求めて、サンフランシスコで人気のラーメン店に足を運んだ長谷川氏は、大きな衝撃を受けることになる。

「口コミサイトで評判のお店だったのですが、ぜんぜんおいしくなかった。僕は半分も食べられませんでした」

米国のラーメン市場が急成長しているという話はすでに耳にしていた長谷川氏。この「事件」があってから、同氏はほかのラーメン店にも足を運んでみたが、日本のラーメンと比べると、やはり「残念なラーメンが多かった」と感想をもらす。

「東京に住んでいれば、少し歩けばおいしいラーメン店さんがたいてい近くにありますよね。でも米国ではおいしいラーメン店さんを見つけるのが本当に難しい。またおいしいお店があっても長蛇の列で、手軽に楽しむことはできませんでした」

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