正しい実行より、正しい戦略を
「度重なるM&Aで創業の精神が失われ、技術力も輝きを失っていました」
メグ・ホイットマン氏は2011年、パソコン機器大手Hewlett-Packard Company(現HP)のCEOに就任した当時をこう振り返る。1939年に設立され、「シリコンバレーの発祥」ともされる同社は、パソコンの競争激化や不正会計によるトップの引責辞任・解雇などで、経営不振に陥っていた。
従業員約38万人、年間売上高1350億ドルという巨大企業の経営再建を託されたホイットマン氏は、トップ就任から最初の100日間でまず「問題の所在を明らかにすること」に努めたという。
「時間をかけて戦略をじっくり練るべきだというのが私の考えです。正しい戦略があれば実行が多少不完全でもなんとかなりますが、戦略そのものが間違っていれば、どれだけうまく実行できたとしても無駄になってしまいます」と、ホイットマン氏。
商品ラインナップや市場競争力、収益力などを詳細に分析した結果、同氏は会社が「二つのまったく異なる事業を抱えている」ことに注目した。一つはパソコンとプリンターを扱う事業、そしてもう一つはサーバーやストレージなど法人向け事業である。
「この二つの事業は、商品、コスト構造、競合他社、顧客層のすべてにおいてまったく別物でした。そこでパソコンとプリンターを扱うHPと、法人向け事業のHewlett Packard Enterprise(HPE)の2社に分割し、それぞれが独立して最良の経営判断を下せるようにしました。これはとても難しい決断で、分割協議に1年以上かかりました」
ホイットマン氏は同時に事業の在り方も見直した。特に重要なのはイノベーションの精神を取り戻すことだったという。同氏はさまざまな事業分野でコスト削減を推し進める一方、R&Dへの投資を増やし、HP研究所を通して先端テクノロジーの実用化に力を入れた。またシリコンバレーのエコシステムとの関係を強化するため、投資部門HPベンチャーズを設立し、毎年スタートアップ4~5社に投資。「シリコンバレーのエコシステムに入ることは、金銭的リターン以上の恩恵がある」と、同氏は狙いを語った。
スタートアップを世界的企業へ
いわゆる「大企業病」に陥っていたHPと対照的な状況にあったのが、ECサイトのeBayである。10年間にわたるホイットマン氏のCEO在任期間中(1998~2008年)に 、同社は従業員30人、売上高約400万ドルのスタートアップから、従業員約1万5000人、売上高80億ドルの世界的企業へと爆発的成長を遂げた。
大企業とスタートアップでは規模も文化も大きく異なるが、ホイットマン氏は創業間もないeBayをいかにして成功へ導いたのか。この点について問われた同氏は、「状況対応型リーダーシップ(Situational Leadership)」が有効だとの考えを示した。組織を構成する部下のタイプに応じて、求められるリーダーシップのスタイルも変化させるべきとする考え方だ。
「eBayはインターネットブームの追い風を受け、毎月70%増という驚異的成長を続けていました。そこで大切なのは、成長を持続するための3~4つのポイントに集中することです。たとえば、eBayの場合は、プロダクトの投入・刷新、コミュニティの活性化、人材の迅速な採用、柔軟で素早い組織改編などでした。このようにスタートアップを成功させる秘訣は、うまくいっているポイントを特定し、継続することです」
もっとも、すべてが順風満帆だったわけではない。取り返しのつかない「大失敗」もあったとホイットマン氏は打ち明ける。忘れもしない1999年6月10日。同社サイトが23時間にわたってアクセスできないシステム障害が発生したのだ。
「会社が急成長しすぎていて、テクノロジーのインフラが追い付いていなかったのです。システムは次の日に無事復旧しましたが、テクノロジーそのものを増強・刷新するのにひと夏かかり、その間にヤフージャパンに追い抜かれました。つまり、我々にとっての損失は1日分の売上だけでなく、日本という巨大市場を失ったことです。eBayにいた10年間、ずっと日本市場を取り戻す方策を考え続けましたが、かないませんでした。だからサービスの拡大に合わせて適切なスキルをもった技術者を雇い、テクノロジーを増強させていくことが重要なのです。それが、私がこの失敗から学んだことです」
一方で、同氏が胸を張るのがM&A戦略の成功だ。決済サービスのPayPalをはじめ、各国の競合企業を中心に100社以上を傘下に収めた。「大企業にとってM&Aは非常に重要な戦略」だと同氏は言う。
「本当に革新的なイノベーションはたいてい組織の外からもたらされます。大企業が組織内でイノベーションを起こすのは非常に難しい。アマゾンは社内サービスからクラウドサービスのAWS(アマゾンウェブサービス)を生み出しましたが、これは非常に珍しいケースです。我々は自分たちの組織でできること、できないことを考え、近いビジネス領域で良いスタートアップがあれば積極的に買収しました」
またM&Aを成功させるコツについて、同氏は「起業家精神を失わせないように、自由にふるまえるスペースを与えること」が重要だとも話す。
「創業3年のスタートアップは人間でいえばまだ幼児なので、無理に大人のやり方に合わせる必要は
ありません。私が役員をしている米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)は5年前に自動運転車開発スタートアップのCruise(クルーズ)を買収しました。当時は破格の金額だと思われていましたが、現在はその30倍の企業価値になり、GMの将来を支えるコアビジネスになりつつあります。GMはCruiseを技術・資金面などで支援してきましたが、GM流のやり方を押し付けず、基本的には彼らの自由にさせたのです」