活動概要

  1. コーポレート・プログラム
  2. マンスリー Benkyokai

2022年8月Benkyokai; Grit and Humility〜 勇気と謙虚さ〜日系一世が歩んできた先にあるもの

Speaker
Janet Nagamine
  • Principal, Hikari Farms
ジャネット・ナガミネ博士は20年以上医師として活躍し、カイザー病院内や全国的にSociety of Hospital Medicine(SHM)で数々の品質と患者安全のためのイニシアチブを主導。2002年のSHM Clinical Excellence Awardを受賞、2018年にはその最高の栄誉であるMaster of Hospital Medicineを授与。
2014年のキャリアのピーク時、ジャネット・ナガミネ博士は、高齢の両親の引退の手伝いのため、家族の農場に呼び戻されましたが、代わりに「スタートアップ」であるヒカリファームを誕生させた。
Moderator
ヤング 吉原 麻里子 Mariko Yang-Yoshihara
  • Lecturer and Education Researcher at Stanford Program on International and Cross-cultural Education
スタンフォード大学国際・異文化教育プログラム(SPICE)講師・教育研究者、東北大学客員教授(工学部技術社会システム学科)。スタンフォード大学で政治学の博士号を取得。2016年、STEAM(STEM+芸術/人文)教育で女の子をエンパワーする日本の非営利イニシアチブ「SKY Labo」を共同設立。その探究型プログラムは、2019年に日本の内閣府男女共同参画局から正式な支援を得ている。

日本の有機野菜を提供している米国カリフォルニア州にあるHIKARI Farms は、66年前に鹿児島から移住したナガミネ夫妻によって設立された。花の栽培と卸売からビジネスを始めたナガミネ夫妻は、様々な苦労を重ねて農園経営の成功に至った。8月のマンスリーBenkyokaiでは、HIKARI Farmsのファウンダーであるナガミネ夫妻と、彼らの娘でありかつHIKARI Farmsのプリンシパルであるジャネット・ナガミネ氏に設立の経緯や成功の秘訣について語ってもらった。

 

 

裸一貫で日系一世が米国で歩んできた道のり

現在97歳になるナガミネアキラ氏は、米国カリフォルニア州中部にあるワトソンビルでHIKARI Farmsを2014年に設立し、日本のりんごや有機野菜に特化した農業を営んでいる。妻のヒデコ氏 も101歳だが彼らは今でも現役だ。農園には13エーカーのグリーンハウス(温室)と8エーカーのリンゴ園がある。グリーンハウスでは水菜と春菊以外に、小松菜やほうれん草、枝豆、里芋、大根、キュウリ、ミョウガまでも栽培している。

今回のBenkyokaiでは、日本の鹿児島から米国への移住後に紆余曲折を経てHIKARI Farms設立までに至ったご夫妻のストーリーを、娘でありかつ医師でもあるジャネット氏に語ってもらった。

1956年にアキラ氏は船で10日以上もかけて広島からホノルル経由でサンフランシスコに渡米した。きっかけはイチゴ農園を営んでいた日系アメリカ人からの誘いだ。その時の所持金はたったの24.32ドルであった。

当時イチゴ農園に住み込みで働いて、アキラ氏の給料は時給90セントであったが、部屋には冷蔵庫や洗濯機やコンロがすでにあり、日本のそのころの生活に比べると夢のような生活ができたようだ。ヒデコ氏もいちご農園で働いていたが、生後 6 週間の赤子をはじめ5 歳に満たない子供が3人もおり、いちご摘みと子守りを親族で交代して行いながらの生計を立てていた。給料はいちごを1パック収穫する毎に40セントで、一日6ドル程度であった

夫婦での稼ぎがそのような状態にもかかわらず、周りの協力を得ながら1962年、独自のビジネスを立ち上げるために5エーカーの土地を購入し、カーネーションの栽培と卸売を開始した。温室に必要な材木を購入するお金がなかったが、それを借してくれる方がいたり、その日の食料までツケで購入させてもらい、花の苗すらお金を借りて購入していた。彼らは「通貨というものは信頼だ」という。そこにあるのは信頼だけなのだ。その後ビジネスをカーネーション以外にもバラや菊の栽培に拡大して行った。

困難を乗り越えた先に

しかし、1990年代に入ると困難に直面する。まず、1989年にカリフォルニア州で大きな地震が発生し、温室が倒壊。さらに、1994年のNAFTA(北米自由貿易協定)の制定により、多くの花卉農家は倒産を余儀なくされ、1998年に彼らも有機野菜の栽培に切り替えた。幸運にもこの新しいビジネスは順調に進んだ。

だが、2014年に家族内の問題や後継問題がうまくいかず、閉鎖を決め温室を壊し、その鉄屑を片付けた。それは成功を収めた夢が終わってしまったようでとても辛い光景であった。その後、農業用地をレンタルするシェア・クロッピングのビジネスを始めた。しかし、アキラ氏はやっぱり野菜を育てることがやめられず、キュウリを育てることをその片隅で始めた。栽培規模は小さいが、箸で作った穴にキュウリの種を一つ一つ植えるなど非常に丁寧に作物を育てる。それはまさに職人芸であり、禅の行いのようでもある。とても美しく、丁寧で、多くの手間をかけている。家庭菜園の延長上の野菜を売るために事業体が必要になり、HIKARI Farmsが誕生した。今やアキラ氏のキュウリは名物になっており、巻き寿司のパッケージに「HIKARI Farmsのキュウリを使用しています」と書かれるほどだ。

一方で、ヒデコ氏はリクエストに応じて梅干しの作り方を教えるなど、大規模農家では経験できない体験も提供している。ジャネット氏も医者と農業のタッグを組んで新たなキャリアを歩み始めている。

最後に、ジャネット氏はこのように述べた。

「HIKARI Farmsは89歳と93歳が勇気と謙虚さで立ち上げたスタートアップ企業です。私たちにはベンチャーキャピタルからの資金提供やビジネスプランはありませんでした。私たちのスタートアップの資本は人財と信頼という通貨だけです。」

アキラ氏とヒデコ氏は、孫の世代に「何をするにも、ベストを尽くすこと」の大切さを伝えて話してくれた。ひたむきに頑張る姿と、信頼するという絆の大切さを教えてくれた。